慶運寺跡

慶運寺跡の概要
ふりがな けいうんじあと
所在地 赤磐市可真上
時代 室町~江戸時代
調査年 2000~2001年
調査主体 岡山県古代吉備文化財センター
参考文献 「岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 191」 2005年 岡山県教育委員会

概要

 寺跡は丘陵の南裾で見つかりました。調査では、室町時代から江戸時代の建物・柵・井戸・溝・土壙・墓が検出されました。
 墓地は、五輪塔や宝篋印塔の石材が数多く散らばった状況で確認されました。これらを取り除いた下層からは、骨蔵器として用いられた室町時代の備前焼の壺30点と雀口の壺2点が出土しました。壺のなかには、当時埋葬されたままの状態の火葬骨が発見されました。
 池田光政の日蓮宗の不受不施派弾圧によって、寛文6年(1666年)以降に廃寺となった寺院のなかに、「慶運寺」が池田家文庫に認められますが、この寺跡がそれに当たると考えられます。

五輪塔:地・水・火・風・空の五大(万物をつくる五つの要素)を、5個の石材にかたどって積み上げた塔。
宝篋印塔:「宝篋印陀羅尼」の経文を納めた塔で、後に供養塔・墓碑塔として建てられた。
不受不施派:日蓮宗の一派。文禄4年(1595年)京都妙覚寺の日奥が創始。法華経の信者以外には施しを受けず、施さぬ主義で、江戸時代は禁制となる。

広大な寺跡の全景

寺跡の全景

木立の横、たくさんの石がある中世墓の検出状況

中世墓の検出状況

岡山県古代吉備文化財センター写真提供

更新日:2018年03月01日