イギリスから赤磐市へ、備前焼がつないでくれた場所

熊山遺跡のふもとに住居を構えている、備前焼作家のクリスさん。
日々の暮らしを豊かにする作品を創り続けてきたクリスさんが創る、おおらかで温かみのあるフォルムのカップに注がれたコーヒー。ぜいたくなその一杯を味わいながら、備前焼との出合いと赤磐市へ移住した経緯をうかがいました。
きっかけは旅先で出会った日本人
備前焼作家になる前はイギリスで大工をしていました。
その後、仕事を辞めて以前から興味を抱いていた焼き物について勉強をするため旅に出ることにしたのです。
その旅先で出会ったご夫婦の奥さんが日本の方。「本当にプロになりたいのだったら日本に行くべきだ」と、奥さんの知り合いで就実高校の先生を紹介していただきました。そして1989年に岡山県にホームステイをしたのが始まりです。
来日当時は岡山市の番町に住んでいました。それから少しずつ田舎の方へ……。備前焼作家の多久守氏の弟子として陶技を学び、1994年に備前市の備前焼窯元の一陽窯に入りました。その5年後に赤磐市の石蓮寺(しゃくれんじ)に築窯。備前焼作家として活動するようになり、赤磐市千躰(せんだ)に移住しました。
‐ いろいろな場所を転々とした後に、備前焼の産地である備前市ではなく赤磐市に移住をされたのはなぜでしょうか?
最初に気に入ったのが地名。当時は赤磐郡熊山町……単純に熊山という名前がかっこよかったです!
そして何よりも大切だったのが、その場所で窯元を開けるかどうかでした。窯元が開けるか役場に相談をして、開けることがわかりました。そして、実際に住んでみると岡山市、備前市、どこに行くにもアクセスがよく、ロケーションが気に入りました。
お互いを見守りつつ、いい距離感が保たれている
では実際に赤磐市に住んでみて不安はありましたか?そして家族の反応はどうでしたか?
不安はありませんでした。弟子入りのときに結婚をした奥さんは私を支え、時には背中を押してくれる存在でしたし、地域で役員をしたときも周りの人たちが助けてくれました。
イギリスと日本は文化も違えば過ごしてきた環境も違います。でもそれはそれでいいと思っています。お互いを見守りつつ、いい距離感が保たれているかな……。
残念だったのは、2005年に市町村の合併により赤磐市になったので、熊山町という名前がなくなってしまったこと。それは少し寂しいです。
私にとって備前焼は自由に自分を表現できるもの
‐クリスさんが創った作品はどれも躍動感があり、遊び心が感じられます。赤磐市からインスピレーションを受けて創られた作品はあるのでしょうか?
難しい質問ですね。ヨーロッパ人なので、イギリスの歴史や伝統に影響を受けていると思います。ただローマ帝国が日本に来たらどんな焼き物を創っていたか?など想像を膨らませて創っています。
私にとって備前焼は自由に自分を表現できるものであり、長い旅の中で「これだ」と思うものに出合った気分です。そういう意味では、そう思えた場所が赤磐市でした。
この花瓶は矢筈口(やはずぐち)。この造形を見たとき歌舞伎や能の世界を想像しました。着物の動きをどう表現できるか考えたときに、この花瓶ができました。
まるで花瓶が歩いているかのような動きが感じられます。
型にはまらない想像力が指をつたい形になる。
備前焼とは奥深い……
‐最後に、赤磐市でやってみたいことはありますか?
赤磐市の偉人のお墓や隠れたスポットに足を運んで歴史を感じてみたいです。あとは職場と家を兼ねたくて、自宅に工房を開いたのですが、窯はまだ作製途中なので完成させたいです。家もリノベーション中なので自分のペースでのんびりとしていくことが理想です。穏やかに暮らしていきたいです。
最後に・・・
知らない町で気後れすることもなく、したいことに向かって挑戦し続けるクリスさん。
お話をうかがって、どんな道のりも人生を味わいながら生きることが大切だと感じました。
赤磐市にはたくさんの魅力があります。クリエイティブに活動している人たちがいるこの町で、自分らしい生き方を発見できるでしょう。
【ライター紹介】
enco
2歳の娘の母。出産を機に故郷である赤磐市に移住。
歯科助手をしながら、好きなときに好きな場所でクラウドソーシングをしています。
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更新日:2022年02月03日