これまでの企画展 平成22年度(2010)~平成30年度(2018)

更新日:2021年4月30日

平成30年度(2018)
女の戦い―永瀬清子と夫・越夫
平成30年12月14日(金曜日)~平成31年2月24日(日曜日)
昭和2(1927)年秋、家を守るための結婚をした永瀬清子。清子が詩を書くことを許した夫・越夫。清子と越夫が育み築き上げていった愛のかたちについて、詩「女の戦い」(『あけがたにくる人よ』)を中心に紹介しました。
老いるとはロマンチックなことなのか―永瀬清子の老人力
平成30年9月7日(金曜日)~平成30年11月18日(日曜日)
永瀬清子は、明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生き、現役の詩人を貫いて89歳の生涯を閉じました。「人生100年時代」を迎えようとする今、詩人・永瀬清子の人と作品には、この「超長寿社会」を生きる知恵やヒントがあるのではないでしょうか。老いを見つめて書き続けた永瀬清子の作品とその日々を紹介しました。
企画展関連行事 講演会「永瀬清子の老い―日々を新しく生きる」
講師 綾目広治氏(ノートルダム清心女子大学教授)
日時 平成30年9月15日(土曜日) 午後1時30分~3時
場所 赤磐市くまやまふれあいセンター第1会議室
注)この講演会の内容は、論文「永瀬清子の老い―日々を新しく生きる」『ノートルダム清心女子大学紀要 外国語・外国文学編、文化学編、日本語・日本文学編』第43巻第1号(通巻54号・2019(平成31)年3月)として発表され、著書『述志と叛意――日本近代文学から見る現代社会』(2019(令和元)年9月)に収録されました。
メモとスケッチ―永瀬清子の絵
平成30年4月20日(金曜日)~平成30年7月22日(日曜日)
永瀬清子は、子どもの頃に南画を習っており、絵画全般に興味を持っていました。清子は、色紙に詩や短章の一部を書くとともに絵も描きました。さらに、詩誌『黄薔薇』が主催する詩画展を開いたり、本の挿画を描いたりしたこともありました。心動かされるものがあれば、手帳やスケッチブックのみならず、原稿用紙の端や包み紙の裏にも描いているのです。この展示では、清子が描いた色紙やスケッチとその出典にあたる作品を紹介しました。
平成29年度(2017)
永瀬清子をめぐる人々―高畑浅次郎と高畑勲
平成29年12月8日(金曜日)~平成30年2月25日(日曜日) 
第21回朗読会「永瀬清子の詩の世界」出演者の高畑勲さん、岡山一中・一高(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、関西高等学校の校長、岡山県教育長(第2代)等を務めた父・高畑浅次郎さん、永瀬清子さんらについて紹介しました。
苔について―永瀬清子と小さなものの世界
平成29年9月8日(金曜日)~平成29年11月19日(日曜日)
永瀬清子は、小さなもの弱いものへのまなざしを常にもっていました。そのまなざしが注がれたもののひとつに、コケがあります。清子は、イギイチョウゴケの発見者である井木張二氏の案内で苔寺を訪れ、詩「苔について」を書きました。そして、「苔を書くのは昔からの念願だったような気がして一息に書いた」と、詩集『あけがたにくる人よ』の「あとがき」で述べているのです。この詩は、井木氏により日本蘚苔類(せんたいるい)学会の会報に紹介されたので、コケの研究者にも読まれました。この展示では、詩「苔について」を中心に、今年設立25周年を迎えた岡山コケの会初代会長を務め、終生コケの魅力を広く伝え続けた井木張二氏との親交を紹介しました。
企画展関連行事 コケ観察会~この小さなものの世界
講師 岡山コケの会会員
日時 平成29年9月10日(日曜日) 午後1時30分~3時
場所 赤磐市立熊山公民館周辺
注)この観察会の様子は、『岡山コケの会ニュース』第45号(平成30(2018)年2月)に「平成29年後半の活動 岡山から 苔について―永瀬清子と小さなものの世界と関連行事のコケ観察会」と題して掲載されました。
永瀬清子の祈り―追悼詩を読む
平成29年4月21日(金曜日)~平成29年7月30日(日曜日)
永瀬清子は、「死によってはじめて愛がわかる」と書きました。人は、心残りや後悔など、もう届かない様々な気持ちを昇華させ、その死を受け入れていきます。清子は、詩人になることを応援してくれた従兄、師事した佐藤惣之助、詩を書くことを許してくれた夫・越夫などの死に直面したとき、千々に揺れる心を詩に託し、悲しみをくぐりぬけていきました。この展示では、清子が身近な人との別れをどのように受けとめ、詩に託したのかを紹介しました。
平成28年度(2016)
松木の村より―ようこそ永瀬清子の里へ
平成28年12月9日(金曜日)~平成29年3月26日(日曜日)
永瀬清子は、昭和20(1945)年秋から約20年、現在の赤磐市松木で暮らしました。この展示では、松木に暮らした清子の人と作品、そして20周年を迎えた永瀬清子の里づくり事業の歩みを紹介しました。
宮沢賢治のほとりで―永瀬清子が貰った「雨ニモマケズ」
平成28年9月2日(金曜日)~平成28年11月27日(日曜日)
平成28(2016)年は、宮沢賢治生誕120年、永瀬清子生誕110年の年です。永瀬清子は、昭和7(1932)年に宮沢賢治の詩集『春と修羅』を手にして以来、終生宮沢賢治を慕い、その人と作品とともに歩み続けました。とりわけ、詩「雨ニモマケズ」は縁が深く、永瀬清子の詩と人生に大きな影響を与えています。この展示では、永瀬清子が宮沢賢治の詩集『春と修羅』に出会い、宮沢賢治追悼会で「雨ニモマケズ」手帳発見の現場に立ち会ったときのことを紹介しました。
企画展関連行事 講演会「宮沢賢治と永瀬清子―妹トシと「雨ニモマケズ」をめぐって」
講師 山根知子氏(ノートルダム清心女子大学教授)
日時 平成28年9月4日(日曜日)午後2時~3時30分
場所 赤磐市くまやまふれあいセンター第1会議室
詩誌『黄薔薇』のあゆみ―永瀬清子から高田千尋へ
平成28年4月22日(金曜日)~平成28年7月31日(日曜日)
永瀬清子は、 昭和27(1952)年8月に詩誌『黄薔薇』を創刊しました。当初は、女性詩人の発表の場でしたが、次第に男性も参加し、後進の育成の場となっていきました。昭和53(1978)年に参加した高田千尋氏は、清子から黄薔薇編集部として同人たちと詩誌『黄薔薇』を受け継いだ後は中心となって詩誌を支え、昨秋、惜しまれてこの世を去りました。この展示では、永瀬清子とともに岡山の現代詩の歴史を刻み、現在も発行中である詩誌『黄薔薇』のあゆみを、高田千尋氏の詩業とともに紹介しました。
平成27年度(2015)
梅咲く頃に生まれて―永瀬清子生誕110年
平成27年12月11日(金曜日)~平成28年3月27日(日曜日)
平成28(2016)年には、永瀬清子生誕110年の年を迎えます。そこで、父・連太郎が書いた妻子を気遣うはがきや母・八重野が清子誕生の頃に記した日記などのゆかりの品や作品より、清子が生まれた日のこと、名前の由来、両親について紹介しました。
永瀬清子と新川和江―詩誌『ラ・メール』を中心に
平成27年8月7日(金曜日)~ 11月29日(日曜日)
平成26(2014)年9月に、新川和江さんから永瀬清子の書簡を寄贈していただきました。新川さんは、清子にとってかけがえのない理解者であり、深く信頼していた詩人のひとりです。この展示では、寄贈された書簡のなかから、新川さんと詩人の吉原幸子さんが主宰し、女性詩人の活躍と交流の場となった詩誌『現代詩ラ・メール』にまつわる書簡を公開しました。
注)この企画展で紹介した書簡は、『資料集―永瀬清子の詩の世界』第4集(編集・発行 赤磐市教育委員会熊山分室 平成29(2017)年2月)に収録させていただきました。
企画展関連行事「声でたのしむ 永瀬清子と新川和江」
講師 竹入光子氏(永瀬清子の詩朗読「白萩」の会代表)
日時 平成27年9月26日(土曜日)午後2時~4時
場所 赤磐市くまやまふれあいセンター第1会議室
校歌をうたおう―永瀬清子作詩の校歌
平成27年4月10日(金曜日)~7月26日(日曜日)
詩人・永瀬清子は、30校を超える岡山県内の校歌を作詩しています。すなわち、赤磐市内の小中学校をはじめ、岡山県内の小学校、中学校、高等学校、特別支援学校、短期大学、大学などです。清子が最初に作詩した校歌は、清子の両親や子どもが通った、現在の赤磐市立豊田小学校の「豊田校愛校歌」でした。
この展示では、昭和27(1952)年7月から晩年まで永瀬清子が作詩した校歌を紹介しました。
平成26年度(2014)
永瀬清子と谷川俊太郎―短章集をめぐって
平成26年12月12日(金曜日)~平成27年3月29日(日曜日)
谷川俊太郎さんは、永瀬清子のかけがえのない理解者のひとりです。その谷川さんが助言をし、装丁を手がけて出来あがったのが『蝶のめいてい』にはじまる4冊の短章集です。この展示では、谷川さんから寄贈していただいた書簡を通じて、二人の交流と今なお多くの方に愛読されている短章集について紹介しました。
注)この企画展で紹介した書簡は、『資料集―永瀬清子の詩の世界』第3集(編集・発行 赤磐市教育委員会熊山分室 平成27(2015)年12月)に収録させていただきました。
星座の娘―永瀬清子の天体
平成26年8月8日(金曜日)~ 11月30日(日曜日)
永瀬清子の詩には、「星座の娘」、「熊山橋を渡る」、「アンターレス」など、初期から晩年まで星座や星、月など天体を描いた詩があります。この展示では、初期の詩「星座の娘」を中心に清子が天体に心を託した詩に注目しました。
企画展関連行事 講演会「星座の娘・永瀬清子」
講師 香西洋樹氏(鳥取市佐治天文台 台長)
日時 平成26年9月6日(土曜日) 午後2時~4時
場所 赤磐市くまやまふれあいセンター第1会議室
注)この講演会の内容は再構成し、『資料集―永瀬清子の詩の世界』第5集(編集・発行 赤磐市教育委員会熊山分室 平成30(2018)年3月)に収録させていただきました。
追悼・飯島耕一―永瀬清子をめぐる軌跡
平成26年4月11日(金曜日)~7月27日(日曜日)
平成25(2013)年10月14日に岡山市出身で戦後を代表する詩人の飯島耕一氏が83歳で逝去されました。飯島氏は、昭和25年春、現在の赤磐市に初めて永瀬清子を訪ね、詩集『美しい国』を手にしました。以来、清子を本格的に論じた評論「永瀬清子論―エロスの流れに手をひたして」を発表されるなど、清子の理解者のひとりでした。そのため清子没後には、永瀬清子の里づくり推進委員会発足した平成8(1996)年10月から平成15(2003)年3月まで顧問としてお力添えをいただきました。この展示では、飯島耕一氏の永瀬清子をめぐる軌跡をたどり、哀悼の意を捧げました。
平成25年度(2013)
詩人と子ども―永瀬清子の絵本を読む
平成25年12月4日(水曜日)~平成26年3月23日(日曜日)
永瀬清子の著書には、『ひでちゃんのにっき』(昭和56(1981)年 福音館書店)、『ぼくと母さんのうた』(昭和62(1987)年 手帖舎)と二冊の絵本があります。これらの絵本は、清子の詩や短章と詩想を同じくしていることをご存じでしょうか。この展示では、詩や短章と読みくらべながら詩人の絵本を味わっていきました。
詩でつながる―高良とみ・永瀬清子・高良留美子
平成25年8月7日(水曜日)~11月24日(日曜日)
この展示では、高良留美子氏から寄贈していただいた永瀬清子からの書簡を展示しました。これらは、昭和32(1957)年3月から昭和33(1958)年3月までの間に、高良とみ氏ならびに高良留美子氏に宛てた永瀬清子の書簡です。高良とみ氏が訳したタゴールの詩「天翔る白鳥」を詩誌『黄薔薇』や『詩学』に掲載することからはじまり、娘の高良留美子氏に詩作を勧め、詩誌『黄薔薇』に作品を掲載し、それらを収録した高良留美子氏の第一詩集『生徒と鳥』の刊行に至り、清子に贈られたことなどが書かれています。高良とみ・永瀬清子・高良留美子の三者を結びつけたタゴールの詩。詩によって結ばれていく、その時をこれらの書簡が語っています。
注)この企画展で紹介した書簡は、『資料集―永瀬清子の詩の世界』第2集(編集・発行 赤磐市教育委員会熊山分室 平成26(2014)年2月)に収録させていただきました。
企画展関連行事 座談会「詩想のつながり―高良とみ・永瀬清子・高良留美子」
講師 綾目広治氏(ノートルダム清心女子大学教授)
日時 平成25年9月14日(土曜日)午後2時~4時
場所 赤磐市くまやまふれあいセンター第1会議室
注)この講演会の内容は、論文「永瀬清子をめぐる詩想のつながり―高良とみ・高良留美子・タゴール」『ノートルダム清心女子大学紀要 日本語・日本文学編』第38巻第1号(通巻49号・2014(平成24)年3月)として発表され、著書『柔軟と屹立―日本近代文学と弱者・母性・労働』(御茶の水書房 2016(平成28)年12月)に収録されました。
山上の死者―迷える魂の詩
平成25年4月10日(水曜日)~平成25年7月28日(日曜日)
昭和29(1954)年10月に刊行された詩集『山上の死者』には、永瀬清子が昭和25(1950)年から昭和29(1954)年にかけて発表した詩が収録されています。この頃の清子は、「私」のもつ女性性を捉えた詩や自然の中にある「私」を書いた詩に加え、広島・長崎に落とされた原爆、ビキニの水爆実験についてなど社会へのまなざしをもつ詩を発表していました。清子はこれらの詩の中から詩集『山上の死者』を編むにあたり、種々の迷いがあったことを「あとがき」に記しています。この展示では、清子が迷い、悩み、そして書こうとしていた美の世界や、いのちの姿を探っていきました。
平成24年度(2012)
永瀬清子と山本純子―詩集『諸国の天女』から詩集『あまのがわ』へ
平成24年12月4日(火曜日)~平成25年3月24日(日曜日)
永瀬清子は、日本各地に残る羽衣伝説を知り、今も昔も夫や子どものために地上にとどまった天女がいるのではないかと想像し、詩「諸国の天女」を書きました。山本純子氏は、この詩「諸国の天女」に影響を受けた詩を表題作とした詩集『あまのがわ』を平成16(2004)年に刊行し、翌年に詩壇の芥川賞とよばれているH氏賞を受賞しています。この展示では、詩「諸国の天女」が結ぶ二人の詩の世界を紹介しました。
家族の肖像―永瀬清子の手紙を読む
平成24年8月7日(火曜日)~11月25日(日曜日)
永瀬清子は筆まめで家族や友人と多くの手紙をやりとりしていました。この企画展では、妻として母として清子が家族と交わした手紙を紹介します。出征した夫が戦地から清子に送ったはがき、清子がインドで開かれるアジア諸国会議出席準備のため上京したときに、家族を気遣い書いたはがき、進学のため上京した息子から清子に届いたはがきなど、昭和20(1945)年から昭和40(1965)年代の清子や家族の手紙を読んでいただきました。
企画展関連行事 座談会「永瀬清子の手紙を読む」
講師 中桐美和子氏(詩人)
日時 平成24年9月29日(土曜日)午後2時~4時
場所 赤磐市立熊山公民館2階講座室
焰について―詩が降りてくるとき
平成24年4月10日(火曜日)~7月29日(日曜日)
詩集『焰について』は、永瀬清子が昭和22(1947)年から昭和23(1948)年までに発表した詩を集めた詩集です。この時期は、現在の赤磐市での暮らしに慣れ、次々と詩が生まれていた時期でした。この展示では、盛んな詩作の様子と、清子の詩作を支えたフランス文学者の山内義雄に注目していきました。
平成23年度(2011)
赤磐の女性詩人―山や河を身につけて
平成23年12月6日(火曜日)~平成24年3月25日(日曜日)
永瀬清子は、昭和20(1945)年秋から約20年間を現在の赤磐市松木で暮らし、初めて農業に携わり、豊かな自然に恵まれたふるさと赤磐への愛着を深めていきました。そして詩集や随筆集を刊行したり、山本遺太郎や藤原審爾らの雑誌に参加したり、清子が主宰する詩誌『黄薔薇』を創刊したりと盛んな文学活動を行い、その結果、多くの代表作が生まれました。この展示では、自然に生きた清子の暮らしとそこから生まれた作品を紹介しました。
美しい国展―世界の人々へ贈る詩
平成23年8月9日(火曜日)~11月27日(日曜日)
詩集『美しい国』は、戦後発表した作品を中心に編まれ、昭和23(1948)年2月に刊行されました。当初、この詩集は日本語と英語の対訳詩集とし、外国でも読まれることを目指して編集されていましたが、経済的な理由で実現しませんでした。この展示では、戦争が終わって間もない時期に、清子が国内のみならず外国の人々にも美しい言葉を贈り物にして分かち合おうとしたことに注目しました。

企画展関連行事 座談会 詩集『美しい国』のころ
お話 井奥行彦氏(詩人)
日時 平成23年9月3日(土曜日) 午後2時~4時
場所 赤磐市立熊山公民館2階大集会室
注)この座談会の内容は再構成し、『資料集―永瀬清子の詩の世界』第8集(編集・発行 赤磐市教育委員会熊山分室 令和3(2021)年3月)に収録させていただきました。

大いなる樹木―永瀬清子の樹木をめぐる詩想
平成23年4月12日(火曜日)~7月31日(日曜日)
昭和20(1945)年1月。戦争が激しくなり永瀬清子の夫は東京本社から岡山支店に転勤になり、一家で岡山市にある清子の実母の家に転居しました。6月29日に岡山空襲に遭い、終戦を迎え、清子はその年の秋に生家のある現在の赤磐市松木に暮らしはじめました。この地で最初に刊行されたのは、昭和15(1940)年から終戦までに東京で書かれた作品を収録した第3詩集『大いなる樹木』です。清子の詩には、初期の頃から晩年までさまざまな樹木が描かれています。今回は、この詩集『大いなる樹木』に注目し、樹木に託された清子の祈りを作品や資料とともに紹介していきました。
平成22年度(2010)
諸国の天女展―女が詩を書くのは
平成23年1月5日(水曜日)~3月27日(日曜日)
永瀬清子は、女性が詩を書くことが好ましいと思われなかった時代に、詩を書くことを選び、一人で書き続けていました。その困難を共に支えあった女性の詩人や文学者のつながりを、昭和15(1940)年に刊行した第二詩集『諸国の天女』より、詩「諸国の天女」「流れるごとく書けよ」とともに紹介しました。
永瀬清子をめぐる人々―谷川徹三・谷川俊太郎・谷川賢作
平成22年8月10日(火曜日)~11月28日(日曜日)
第25回国民文化祭おかやま・2010文芸祭「現代詩」大会の出演者として、谷川俊太郎さんと現代詩をうたうバンドDiVa(高瀬麻里子さん 谷川賢作さん 大坪寛彦さん)の皆さんをお迎えしました。そこで、谷川徹三さん、谷川俊太郎さん、谷川賢作さんと親子三代にわたる永瀬清子とゆかりについて紹介しました。
グレンデルの母親展
平成22年4月20日(火曜日)~8月1日(日曜日)
永瀬清子は、女性が詩を書くことが、好ましいと思われなかった時代に詩を書くことを選び、学問を通じて自分自身を見つめ、社会の中にある自分を書こうとしました。この展示では、永瀬清子が社会へのまなざしをもち、詩を書いていたことに光をあてていきました。